半年前、夏祭りの準備のため買い出しに行って転倒し、頸椎損傷した父。入院とリハビリの間に面倒を見る人がいなくなった母も、糖尿病+認知症からインスリンの投与が止まり救急搬送を経て入院。やっと二人とも実家に戻ってきた。
本人も半身不随で介護保険に障害者手帳、ヘルパーさんが週に何回も来る生活となると、やっと無理なものは無理という私の話を少しずつ聞いてくれるようになった。父が何を考えているかを知るすべはないが、左手一つしか動かせなかった状態から、装具と補助具で歩けるようになり、少しずつ出来ることが増えてそれなりに忙しくしているように見える。
医療費等を私の口座から立て替えていた分を、時々預金通帳を預かって払い出ししていたが、この日は日課の散歩があるなら一緒に行こうと誘い出して、郵便局の集荷局まで桜を探しに行った。
郵便局で預金を下ろそうとすると、父と一緒に野球サークルの幹事をやっていたという人と出会った。事故後に直接会うのは初めてだったらしく、歩行器を押す父の姿にしばし言葉を失っていた。父の場合は難病の後縦靱帯骨化症を隠し持っていたことによる偶然の重ね合わせがあったとはいえ、定年後にスポーツを一緒にやってきた仲間の姿としては変わり果てていたのだろう。だが、父本人はあっけらかんと「歩けるようになったんですよ」
私も症状としては寛解しているが、世界で3例目の報告例という激レアURのがん患者だ。再発したら健康寿命は簡単に終わるかもしれない。不確実な未来への保険は適当に掛け捨て、自分が今何をしたいのかという問いを真剣に立て続けるのである。
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